密接に関係しあう、政治と経済

政治と経済は密接な関係にあります。
最近では、2012年に誕生したアベノミクスがその関係を顕著に表しています。
アベノミクスとは、安倍晋三内閣とエコノミクスとをかけ合わせた造語で、アメリカのレーガノミクスにちなんでいます。

安倍政権は、「デフレからの脱却」と「富の拡大」を目指し、これらを実現する政策として、アベノミクス「三本の矢」を打ち出しました。その三本の矢は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」です。
このアベノミクスには賛否両論がありますが、多くの指標で数字が大幅に改善されていることから一定の成果があったと言えます。
円安の追い風もあり製造業は軒並み収益を改善しました。そして各企業の株価が上がり、雇用状況も一気に改善しました。今では企業業績の向上に伴い、人口減や少子高齢化も理由ではありますが、各地で人手不足が逆に問題になっているほどです。
企業の経常利益も、過去最高水準を維持しています。

そして過去の日本を振り返ってみます。
特に日本にとって、1960~1970年代の高度経済成長期は、戦後の日本が経済大国になったまさに転換期と言えますが、これは政治の力が日本を引っ張りました。
1960年7月に発足した池田勇人内閣が「所得倍増」をスローガンに、高度成長を進める政策をとりました。この政策は次の佐藤栄作内閣にも受け継がれています。
東海道新幹線東名高速道路などの、大都市間の交通網の整備による公共事業の活性化や、また三種の神器と呼ばれる「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」の、急速な家庭への普及に伴う製造業を中心とした企業業績の向上などは、日本の経済成長に大きく貢献しました。
またこの時代には、東京オリンピック大阪万博などの特別な需要もあり、日本のGNPは1968年に、当時の西ドイツを抜いて世界第二位となりました。
まさに「所得倍増計画」という政策を打ちだした、当時の政治が日本全体を引っ張った成長でした。
ただこの成長の陰で、急速な工業化に伴う環境破壊が起こり、「水俣病」「イタイイタイ病」そして「四日市ぜんそく」などの公害問題が深刻化したのも、この時代です。

また都市の人口集中による過密問題と、地方の人口流出による過疎問題もこの時代に発生しています。そして皮肉なことに、これらの問題も政治が解決するために、政策の見直しを迫られました。
まさに陰と陽の世界です。
これらもすべて、経済と政治とが密接に関係しあっています。
その密接な関係により、世の中の全てがつくられています。